ネパール大地震から10年:復興の光と残る影

2025年4月25日

10年前今日、あれから10年経ちました。当時、筆者も首都カトマンズで被災し、目の前で世界が揺れ崩れるのを経験しました。約9000人の命を奪った大地震は、私の人生だけでなく、ネパールの風景そのものを一変させました。

あれから10年。4月25日にはカトマンズ近郊で政府主催の追悼式典が開かれ、約3000人の関係者や遺族が出席し、犠牲者に黙祷を捧げました。地震で2人の孫を亡くした女性の「二度とこのような悲劇は起きてほしくない。私たちは地震への備えを高めていかなくてはなりません」という言葉は、被災者全員の切なる願いでしょう。

復興の進捗と耐震化への課題

地震によってネパール国内の建物の20%、約90万棟が倒壊・損壊しましたが、この10年間でその多くが再建され、街には少しずつ活気が戻ってきています。私も初めて訪れた時のカトマンズとは違う、新しい建物が増えた景色を見るたびに、人々の力強さを感じます。

しかし、特に地方部では、私が被災時に目にしたような土壁やレンガを積み上げただけの耐震性の低い建物が依然として多く残されています。これらをどう耐震化していくのかは、今後の大きな課題です。次なる大地震が来た時、同じ悲劇を繰り返さないためにも、この対策は急務だと感じています。

災害時医療体制の「孤立」と日本の支援

国土の大半が山岳地帯であるネパールでは、地震から10年が経った今もなお、災害時の迅速な救助や医療提供が困難な状況が続いています。当時、私も避難生活を送る中で、医療物資がなかなか届かない現実を目の当たりにしました。首都から車で4時間半かかる集落には、常駐医師はおらず、簡単な風邪薬しかないヘルスワーカーが一人いるだけという話を聞くと、あの時の不安が蘇ります。

10年前の地震では、主要道路が寸断され、住民が病院へたどり着くまでに3日も要したという話を聞けば、状況が改善されていないことに不安を感じます。この現状を変えるため、医師たちは患者を治療しながら搬送できる医療用ヘリコプターの導入を強く求めています。拠点病院のシュレスタ医師が「日本のように、より多くの命を救うため負傷してからゴールデンタイム内に治療を開始できるようにしたい」と語るのを聞くと、日本の支援の重要性を改めて感じます。

幸い、日本からも支援が行われており、中部にある拠点病院では、大規模災害に備え、日本の支援で「外傷・救急センター」が新たに建設されることになりました。これは、多くの命を救うための大きな一歩となるでしょう。

エベレスト周辺の雪崩対策も進展

私が被災した2015年の地震では、エベレスト周辺でも大規模な雪崩が発生し、日本人1人を含む18人の登山者が命を落としました。ネパール人ガイドのフィンジュ・シェルパさんが「あんな巨大な雪崩を見たのは初めてでした。あのような悲劇が二度と起きないことを祈るばかりです」と語るように、その被害は甚大でした。

この悲劇を教訓に、エベレストでは地震による雪崩への対策が進められています。ネパール政府は今年から、緊急時の救出活動の連絡・調整を行う常駐スタッフを増員しました。また、遠征企画会社は、登山者に対し小型の衛星通信装置の携帯を推奨しています。登山家でもあるタチ・ラクパ・シェルパさんが語るように、山岳ガイドや登山者に向けた研修も強化されており、安全意識の向上が図られています。

あの地震で私が感じた無力感は今も忘れられません。しかし、この10年間でネパールの人々が粘り強く復興を進め、そして国際社会が手を差し伸べている現状を見ると、未来への希望を感じずにはいられません。地震の記憶を風化させず、さらなる災害に備えるネパールの努力は、これからも続いていくことでしょう。